- 対極の存在
去年、ニューヨーク近代美術館でブラックとピカソの大規模な展覧会が催された。
その頃ニューヨークへ行く用があったのだが、少し早過ぎて見ることができなかった。
ブラックとピカソといえばキュビズムだ。
この展覧会は、この二人の神話的ともいえるキュビズムの運動のプロセスを、徹底した作品の並置によって明らかにしようとしたものらしい。そして、ピカソの名声の陰に隠れがちなブラックの作品の重要性に言及したものでもあったらしい。
この並置した展示形式が大変興味深い。並置された両者の間には、たんに抽象芸術のパイオニアとしてのキュビズムのツッパリ以上に、その後の抽象表現が対面せざるを得なかったいわば一本の電池の+と-のような対極が横たわっているように思われる。ほとんど同じに見える二人の作品を並べて突きつけられると、確かにピカソの仕事には後年の欲動的な対象の再現がうずくまっているように見えるし、ブラックの仕事の方にはさらに対象を削ぎ取って形態が溶解するオールオーヴァーな平面の指向性が感じられる。いわば、キュビズムという将棋の盤に向かいあって、二人の作家が、抽象芸術という二十世紀的な対局を戦わせているようなものだ。
ところで僕には、家具のデザインを造形表現のひとつとして見た場合、ピカソとブラックのそんな対局と同様のメルマークを今でも抱えているように思えてならない。それは、たとえば同様のスチールパイプを用いたコルビュジェとミースの椅子を比較して感じることだ。二人の建築家の椅子のデザインは、同時期の同じような傾向に見えるのだが、さしずめコルビュジェがピカソでありミースがブラックであるような、キュビズムに胚胎したアンビヴァレンスを抱えているとはいえないだろうか。
たぶん、現在の家具デザインについてもこのアンビヴァレンスから自由ではない。どちらに肩入れすればいいということではないが、この頃の無制限なデザインの自由風やら復古調に対する反感も少しあって、僕としてはMoMAのキュレーターにならってブラックの側を応援したい気分だ。
KAGU Designer’s Week in Makuhari / 1990.07